11月17日の舛添知事定例記者会見。日本時間14日早朝にパリで発生した同時多発テロに関する1枚の資料が配られると、記者から失笑が漏れた。
知事がツイッターで犠牲者への哀悼を示したところ、パリ市長から感謝のリツイートがあったという内容だ。フランス語を交えながらやり取りを紹介する知事の姿を庁内テレビで見ていた職員の一人はつぶやいた。「だから批判される。これではパフォーマンス外交と言われても仕方がない」
国際政治学者でもある舛添知事の施策で最も特徴的なのが都市外交かもしれない。学者としての知見と英、仏、独など6カ国語が話せる語学力を武器に存在感を発揮できる分野であり、実際にフットワークも軽い。
知事に就任した2014年2月に冬季五輪が行われているロシアのソチを訪問。その後、北京、ソウル、ロシアのトムスクと精力的に足を運んだ。今年4月の股関節手術後は間が空いたが、10月から再開し、これまで訪れた都市は計8カ所に及ぶ。
北京やソウルには都知事として18年ぶり、パリには実に24年ぶりの訪問となり、舛添知事は「都知事の公式訪問が無かったこと自体が異常だった」と石原都政下の都市外交を暗に批判。石原知事肝煎りの「アジア大都市ネットワーク21」の見直しを打ち出し、独自色を発揮している。
舛添知事の訪問は現地での評価も上々なようだ。
ロンドンでは、ぼさぼさの髪型がトレードマークのボリス・ジョンソン市長を引き合いに、「彼と私には髪型を除いて共通項がある」とジョークを交えながら聴衆を沸かせた。1時間の講演を全て英語でこなす高いプレゼン能力は、地方自治体の首長の力量をはるかに超えたものと言える。
都市外交を展開するための体制作りにも早くから着手し、14年7月には「儀典長」のポストを「外務長」に戻し、同年12月には都市外交を推進するための指針となる「都市外交基本戦略」を策定。20年までに五輪開催都市やアジアの主要都市など30都市と関係構築する方針を打ち出した。
舛添知事の都市外交は訪れるだけではない。海外諸都市の市長や駐日大使などが都庁を訪れて知事を表敬するのは、今年11月までの2年足らずで計66回を数え、「石原都政時代に比べて格段に増えている」(都政策企画局外務部)。
だが、そうした実績も都庁内外では冷ややかな評価が目立つ。
「都政の課題が山積する中での知事の海外出張が、それほど優先順位が高いとは思えない」。14年の第3回定例都議会で自民党の村上英子幹事長(当時)はこう述べ、「もう一度、都政の原点を確認すべき」と釘を刺した。
昨年度に都の「都民の声」窓口に寄せられた意見・要望で、最も多かったのも「都市外交」に関するものだった。特に日韓関係が微妙な時期に大統領と面会した訪韓直後は多くの意見が寄せられ、「なぜ地方自治体が外交をするのか」と批判的な意見が大半だったという。
一方で「舛添外交」を評価する声もある。強力に舛添知事をバックアップするのが都議会公明党だ。知事就任直後の議会で「友好姉妹都市交流の再生」を求めて以降、一貫して知事の都市外交を後押しし、同じ与党でも自民党とのスタンスの違いが鮮明に表れている。
アフリカなどの大使館関係者の知り合いが多い都議会民主党の石毛茂氏も、「石原氏の時は難しかったが、舛添知事になってからは会ってもらえるようになり、外交官も喜んでいる」と評価する。
賛否が分かれる都市外交だが、政策のヒントになっていることは間違いない。舛添知事はロンドンを訪問した際に視察した舟運(しゅううん)やラグビーW杯のパブリックビューイングなどを参考に施策を展開する考えを示している。
では、なぜ評価が低いのか。それは「パフォーマンス」と映る舛添知事の姿勢に一因があるようだ。例えば北京を訪問した後、舛添知事はウェブマガジンで「私の訪問以降、日本を訪れる中国人の数は増え、彼らの『爆買い』で日本経済は潤っている」と自画自賛したこともあった。
こうした舛添知事の姿勢と対極的な例と言えるのが、10月に都庁を訪れたボリス・ジョンソン市長だ。通商使節団団長として企業を引き連れて来日。テクノロジーやバイオサイエンス、金融技術の売り込みに力を注いだほか、大阪や原宿で英国の菓子店を訪問し、その様子をツイッターで一日に何度も発信。バーバリーの都内新店舗のオープニングセレモニーにも参加するなど、ロンドンの産業を売り込むことに力を注いだ。
舛添知事の外交に対し、庁内からは「自分の売り込みばかりで、東京のPRになっていない」との声が漏れる。今後は具体的な成果と同時に、足元の都政とのバランスも問われるのは間違いない。
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