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「石炭は龍、美術館は華」/東京府美術館を建てた佐藤慶太郎/筑波大学芸術系教授 齊藤泰嘉

 私が東京都美術館で学芸員として働き始めたのは、1980年5月1日のことである。それをさかのぼること半世紀。1926年5月1日、上野公園に東京府美術館が開館した。前日の内見会で「いやどうも立派に出来上がりましたなあ」とニコニコ顔で話す小柄な山高帽子姿の紳士がいた。この人こそ、美術館建設費100万円(現在の約33億円)の寄付者である九州男児・佐藤慶太郎翁(明治元年筑前国遠賀郡生まれ。福岡修猷館を経て、明治大学の前身明治法律学校卒)である。
 小学生の頃、9月になると日本画家(日本美術院所属)である父に連れられて、この「上野の美術館」によく出かけた。「あの方が、マエダセイソン先生だよ」と父は丁寧に説明してくれた。子供ながらも、その仙人のような白髪の老人が、偉い人なのだと理解できた。
 大学で美学美術史を学んだ私は、学芸員の資格を得て卒業した。北海道立近代美術館で3年間勤務したのち、東京都美術館に移った。美術館地下収蔵庫の奥にひっそりとしまわれていた銅像、朝倉文夫作《佐藤慶太郎像》と目が合ったのは、この頃である。

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