| 杉並区区制施行80周年特集/夏の風物詩となった高円寺阿波おどり/葵新連会長 森田昇栄私は大正15年8月に生まれ、戦前は親父と一緒に千駄ヶ谷で製麺業をしていました。空襲で一軒残らず焼けてしまい、焼けてしばらくは千駄ヶ谷にいましたが、親父の実家が荻窪のほうだったので、昭和20年代に高円寺に引っ越しました。そば屋の「昇月庵」は、昭和31年頃に始めました。 空襲で何もなくなってから10年たって、高円寺のまちも賑やかになってきました。商店街に青年部が出来、隣の阿佐谷で始まった七夕にも刺激され、何かにぎやかなことをしてまちにお客を呼ぼうとなったんです。 ところが、神輿を担ごうにも買う金がない。盆踊りをしようにも場所が無い。皆で頭をひねっていると、徳島には歩きながら踊る阿波おどりというものがあるらしいと、これなら狭い商店街でもできると飛びついたわけです。 昭和32年に始めた当初は「高円寺ばか踊り」と名乗っていました。誰も本物を見たことも聞いたこともなかったので、踊りは日舞の師匠に習い、顔には白粉を塗らされたり、鳴り物はチンドン屋を頼むといった具合で、阿波おどりと名乗るのもはばかられたんです。「都政新報・電子版」(http://www.tosei-d.com/)にご登録頂くと全文をお読み頂けます。
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