| 続・橋を透して見える風景(1)/奥多摩で開かれた「橋の展覧会」 隅田川は、様々な形の橋が架かることから「橋の展覧会」に例えられる。一方、奥多摩にも昭和の初期、山間部の橋の展覧会に例えられるバラエティーに富んだ橋が架けられた。 関東大震災からの復興では、現在の山手線の内側に台東区や江東区などを加えた旧東京市内のエリアに、1923(大正12)年から1929(昭和4)年までの6年間で約500橋の橋が架けられた。これらの事業は、国の組織である復興局と東京市が行った。 震災復興が一段落した後、昭和恐慌の失業対策事業として全国的に公共事業が盛んに行われた。東京府でも旧東京市以外の多摩地域を中心に、多くの公共事業が施行され、その中心は道路事業が担った。これに伴い、7~8年間で約500橋という震災復興にも匹敵する莫大な量の橋が、東京府によって架けられた。
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