| 時論政論/震災時のバックアップ論議 3月11日の東日本大震災で首都圏は直接の震源地ではなかったにもかかわらず、交通網のまひなどで住民生活に多大な影響が生じ、災害に脆(ぜい)弱な(じゃく )首都圏の課題を浮き彫りにした。 これを機に、大阪府の橋下徹知事が首都機能を補完する「副首都」の誘致に名乗りを上げ、東京都の石原慎太郎知事に連携を持ち掛けるなど、首都機能のバックアップ論議が盛り上がりを見せている。 しかし、同様の議論は2000年代前半まで首都機能移転という形で展開され、最終的に雲散霧消した。首都機能移転が挫折した理由を考えれば、バックアップ論議の課題も見えて来る。 ■「我田引都」で/議論は混迷 1990年11月、一極集中排除や災害対応の強化などを目的に、衆参両院が国会決議を採択したことで首都機能移転の議論は本格的に始まった。その後、政府の国会等移転調査会報告は「新しい革袋」、つまり新首都を建設する必要があるとして、移転の総費用を12兆円超と試算した。今から考えれば、途方もない構想である。
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