| 役所と職員の6カ月間を振り返って/福島大学行政政策学類教授 今井照■震災ハイ 東日本大震災から6カ月が経過する。福島県内の被災地自治体の職員に話を聞くと、3月11日に何をしたかということについては誰もが詳しく話してくれる。だが、ほぼ徹夜明けの翌日のことになると、あまり思い出せない人が多い。その情報はどこから仕入れたか、誰と話して何を決めたか、誰にどういう指示をしてどう行動したか、というような質問には、なかなか答えられない。精神的にも肉体的にもハイな状態で突っ走っていたからに違いない。 「最初の1週間から10日間が、とてもきつかった」「あの時こそ、誰かに助けてもらいたかった」「夜を徹して運ばれた友好都市からの救援物資が震災翌日に届いた時は、涙が出るほどありがたかった」という。役所によって違いもあるが、そのころは職員間でも、いがみ合いや怒鳴り合いがあった。もちろん住民との間には、さらに厳しいやりとりがあった。 一方で、避難所に集まっている数千人の1日3食を調達しなければならない。最初は地域の住民や飲食店も協力してくれたが、原発災害が悪化する恐れが出てくると、そういう人たちも町からいなくなった。職場の雰囲気は最悪だったという。
■増え続ける業務 さすがに現在は、そこまでひどい状況は見られない。多くは今も土日にも役所を開けているが、職員は交替で休むことができるようになってきた。残業も一時期ほどではない。 相変わらず、国政の「思いつき」に振り回されて、被災者の高速道路無料化が始まれば、「被災証明」という新しい膨大な実務が突然降って湧いたり、被災者の健康保険自己負担無料化が始まれば、その証明を求める市民でいきなり窓口が混み合うといった具合だが、私から見ると、それぞれの役所は驚異的な事務処理能力を見せている。 だが、率直に言って、少なくない職員が疲弊している。特に、福島県の「浜通り」と呼ばれる太平洋沿岸の市町村職員は、おしなべてくたくただ。相変わらずほぼ一日中、住民からの問い合わせ電話が鳴り響き、窓口でトラブルが続いている。職員の多くも被災者であり避難者なのだが、「あなたたちは給料、もらってるんだよね(私たちは仕事がなくなってしまったけれど)」と住民にぼそっと言われただけで職員の意識はへこむ。
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