| 新・橋を透して見える風景(8)/ガード下から/ドイツに学んだ鉄道技術 都庁が有楽町から新宿に移転して早いもので30年が経つ。今では、有楽町時代を知る職員もほとんどいなくなった。当時、昼食やアフターファイブに繰り出すのは有楽町の高架下と相場は決まっていた。東京駅から新橋駅まではJRのレンガアーチ橋が連続し、その高架下は通称「ガード下」と呼ばれ、多くの飲食店が軒を並べていた。
ところでこのガードとは、英語の「ガーダー」がなまったものである。日本語では「桁橋」と訳される。高速道路などでよく見られる、橋桁を渡した単純な構造の橋である。有楽町でも道路をまたぐ箇所はレンガアーチ橋ではなく、鉄製の桁橋(ガーダー)が架けられている。そこからガードと呼ばれるようになった。つまり、飲食店が入るスペースは正確にはガード下ではなく、アーチ下と呼ぶべきであったのかもしれない。 ◆都政新報・電子版(http://www.tosei-d.com/)にご登録(有料)することで全文をお読みいただけます。Facebookページ(http://www.facebook.com/denshiban.toseishimpo)の「ちょこっとタダ読み」で記事の一部をお読みいただけます。
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