| 東京復興~震災後の危機管理を考える 原発編1/原発災害の脅威/後手に回った放射能対策■初めは対岸の火事 東京電力福島第一原子力発電所の1号機の建屋が爆発を起こしたのは、3月12日午後3時36分。さらに3月14日午前11時1分、3号機も爆発。翌15日の午前6時10分には2号機も爆発した。 この時点でまだ、首都圏の住民は他人事のようにこの光景をテレビで観ていただけだった。 対岸の火事が、東京都民の我が身に迫ってきたのは3月15日朝だった。新宿区にある健康安全研究センターで、空間放射線量を計測するモニタリングポストの数値が急上昇を始めた。 同地点での数値は、最大値でも毎時0・035~0・038マイクロシーベルトだったが、午前4時台から徐々に上昇を始め、午前8時台から急上昇。午前10時台には、前日の20倍となる0・809マイクロシーベルトに達した。 この数値は、今日まで都内で計測した最大値だが、数値はすぐに低下を始めていた。都は同日会見を開いて、「都民の健康に影響が出る数値ではない」と強調した。 東京には3月21日に再び、放射能雲(プルーム)が襲っている。関東に雨が降ったこの日、朝からモニタリングポストの数値が上昇していた。21日午前10時台には毎時0・1マイクロシーベルトを超えた。 二度目の放射能雲の襲来は、その後の東京の汚染度合を決定づけた。21日から23日にかけて、関東地方では降雨が続き、空気中の放射性物質が地上に落ちた。 22日午前6時、金町浄水場で放射性ヨウ素を1キログラム当たり210ベクレル検出した。乳児飲用の暫定的な指標値を上回っていたことから、都水道局は23日に、飲み水には使わないよう公表。23区5市の1歳未満の乳児向けに防災用のペットボトル飲料水を配布した。 放射線量が毎時0・1マイクロシーベルトを切ったのは、3月31日夕方。平常値に落ち着いたのは、5月以降だった。その後も、23区東部では空間放射線量が高い「ホットスポット」が残された。雨どいや側溝に放射性物質がたまるマイクロホットスポットも、5月ごろには形成されていたと思われる。
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