| 江戸時代の人々は/どう震災に立ち向かったのか/法政大学教授 田中優子新井白石が綴った元禄地震
日本は、地震があるのが当たり前、の列島である。江戸時代にも多くの大地震が記録されている。江戸時代の「江戸」はその隙間を縫うようにして平穏期をもつことができた。江戸文化とは、大震災と大震災の間に生まれ、都市災害の中でそれに耐えながら育ってきた文化である。何と言っても規模が大きかったのは1703年の元禄大地震であった。房総沖を震源地とするマグニチュード8・1(推測)の地震である。 元禄と言えば元禄文化だ。演劇、浄瑠璃、文学、俳諧の各ジャンルが急激に発展し、元禄小袖と言われる着物が生まれ、貨幣経済が活気に満ちていた。元禄の最後を飾った事件が二つある。その一つが、『仮名手本忠臣蔵』のもとになった殿中での斬り付けと、赤穂浪士による吉良邸への討ち入り、そして浪士たちの切腹という一連の事件である。これが1701年から1703年の旧暦2月にかけて起こった。そしてもう一つが、元禄大地震である。これが1703年の旧暦11月23日の夜明けに起こる。このことを不吉としてすぐに年号が変えられたので、1704年はもう宝永である。元禄は大地震によって閉じた。しかし宝永になってからも余震が続き、富士山が噴火した。この後、今に至るまで富士山は噴火していないが、今後どうなるかは分からない。
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