| 日比谷公園の歴史と文化(上)/近代洋風都市公園第1号の意義/元日比谷公園管理所長、文化財指定庭園保護協議会賛助会員 高橋裕一 日本の近代化は明治の幕開けとともに政治・経済の仕組み作り、鉄道・電信電話などのインフラ整備が着々と進んでいったが、本格的な公園作りは時間を要した。社寺境内地をそのまま公園として指定したのとは異なり、平坦で広大な土地に近代的な洋風の都市公園を作ることは遅々として進まなかった。 江戸時代初期、遠浅の海だった「ひびや」の海が埋め立てられ、現在の日比谷公園から霞が関一帯は大名屋敷で埋め尽くされていた。江戸城への入り口には全36の「見附」が置かれ、幕末まで続いた。 ◆都政新報・電子版(http://www.tosei-d.com/)にご登録(有料)することで全文をお読みいただけます。
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