北海道から東京に出てきてほぼ40年。いまさら「ふるさとの味」と言われても思い付くのは学生時代に仲間と通った池袋や新宿の炉端焼きで食べたホッケやホタテ串焼きなどの「道産子料理」。でもこれって子供の頃そんなに食べていたわけではない、と思う。 では何を食べていたのか、年のせいかはっきりとは思い出せない。ただ、たまに正月など郷里に帰ったとき、母親の作る質素な手料理の中で、ああこれは東京では食べたことないなあ、やっぱり故郷の味だなあ、と妙に感心する料理が今回ご紹介する「にしん漬け」なのだ。 料理といってもただの漬け物である。そういう意味では純粋に「ふるさとの味」とは言えないかもしれないが、とりあえず、私にはこれしか思い浮かばなかったのでご容赦いただきたい。 さて、今回の執筆に際し、田舎の母親に「にしん漬け」のレシピを電話で聞いてみたが、耳の遠い母親は何とも要領を得ず、そばに住んでいる妹に至っては「『にしん漬け』は嫌いだから作ったことない! インターネットでいつでも買えるわよ!」と素っ気ない。 仕方がないので沈んだままの海馬に鞭打って思い出したところ、冬の初めの寒い朝、これまた寒い台所の隅に置いてある木樽にかがみこんで、ふたに乗っかっている石を重そうにどかしている母親の背中が見えた。後ろから腹をすかせた坊主がひとり母親の前掛けのひもにつかまりながら、樽の中をのぞいている。ちょっと酸っぱくて生臭い、でも甘い香りも漂って、少年は生つばを飲み込んでいる。 妙に肉厚のキャベツと、程良く漬かった大根のぶつ切り、色取りのニンジン、鷹の爪や唐辛子もあったかもしれない。そして生臭くも食欲をそそる身欠きにしんの群れ。全体にぶつぶつと白いものがまぶしてある。麹だ。材料もさることながら、たぶん塩加減とこの麹の具合でその家の味が決まるに違いない。 むろん少年はそんなことは無頓着に、早く食いたいだけのモードに入っている。父親が食卓に着くまで待てない。母親が大きめの皿に手際よく盛り付けをして狭い食卓に置きにいく、その時を逃さず、少年は樽に手を突っ込み、好物の大根をひとつ口に##9830##張り、にしんを二切れ口に押し込む。口の中はいっぱいで、ほど良く発酵した何とも言えない香りが満ちる。しかし、幸せな気分に浸ってはいられない。なにせ「にしん漬け」は貧しい食卓の貴重な「主菜」。つまみ食いはご法度だ。母親が数歩しか離れていない茶の間から戻ってくるまでに盗み食いの痕跡を消さねばならない。 少年は信じられないスピードでかむかむ運動を始める。いつもは歯ごたえのよい大根がこんな時は難敵だ。とにかく早く飲み込まなくてはと焦る。身欠きにしんが、いい味をしている。もっと味わいたいが、もう母親がすぐそこに戻ってきて少年の口元をのぞこうとしている。ええいっ! と口の中の物を全部いっぺんに飲み込んだ。のどに激痛が走る。その瞬間、背中にも激痛が……。 母親が少年の背中を思い切り叩いたのだ。のどに詰まっていたものが全部吐き出される。「はんかくさいんでないの!!」母親の怒った声のなかで、少年は、口の中にまだ広がっている馥(ふく)郁(いく)たる香りに浸りながら、「いたましい(もったいない)なぁ」と、ただ床を見つめていた。 (練馬区教育長 河口浩) |