「取扱注意」と書かれた1枚の文書。タイトルは「東電電力改革本部との定例会合(10月1日)事前V1レク」とある。出席者は、「V1」が廣野専門委員、「G本」は関係部課長と主査の名前、「環境」も3人の名前が書いてある。 「V1」とは1番目の副知事、つまり筆頭副知事のこと。当時は猪瀬副知事だ。「G本」とは、知事本局。Gは知事を意味する。「環境」は、恐らく環境局だろう。 日付は12年9月21日。石原知事が辞職する約1カ月前だ。翌10月1日、(株)東京電力の電力改革本部と猪瀬副知事が、第1回の定例会合に臨んでいる。 ■ぶら下がりの土産 V1側は矢継ぎ早に指示を出す。 「頭撮りの間にしゃべることをしゃべってしまう。絶対に言わなければならないことを3分の2ページくらいでまとめること」 「ぶら下がりは何か成果がないと」 「民主党は大臣がコロコロと変わる。(略)当事者がいなくなるのは無責任。冒頭か、ぶら下がりで、このことを言う」 都の幹部は「お土産(成果)と『こちらから こんな宿題を出しました』というのが、ぶら下がりの中身となる」などと応じている。 この内部文書で明らかなように、猪瀬氏が定例会合前から「ぶら下がり」とセットでストーリーを組み立てていたことがよく分かる。 これに限らず、猪瀬氏が立ち上げたプロジェクトチーム(猪瀬PT)は、ほぼ間違いなく終了後に猪瀬氏の「ぶら下がり」と称するワンマンショーがセッティングされ、それを報道陣が囲むスタイルが定着していた。 あらかじめ想定したストーリーから外れた記事を書いたり、とんちんかんな質問をすると、猪瀬氏はぶら下がりの場で社名を挙げて容赦なく怒鳴る。それも一度ではないから、いつの間にかマスメディアに敵を増やしていた。 法人事業税の暫定措置の見返りとして、「首都東京の重要施策」を話し合う「国と都の実務者協議会」では、猪瀬氏が協議会のテーマから逸脱して、天然ガス資源の確保や託送料金の見直しなど電力問題を持ち出したこともあった。 国側は「共通認識だ」などと大人の対応でかわしたが、恒例の猪瀬氏のぶら下がりを終えた報道陣は、居合わせた都の幹部に「あれは都の見解なのか、猪瀬氏の見解なのか」と、こっそり確認をしていた。 東電病院売却を求める東京電力株主総会の前日に、都の幹部の強硬な反対を押し切って、突然の立ち入り調査を命じたのは、猪瀬氏だった。 副知事時代、都と猪瀬氏は別人格で、それが暗黙の了解だった。その人物が都知事になってしまったことで、都政が一体どこに向かっているのか、ますます分かりにくくなってしまった。 ■聖域なく見直すと 17日、都が発表した14年度当初予算暫定案では、猪瀬知事が手掛けてきた施策が姿を消していた。都幹部は「猪瀬知事時代のPTは全て解消される」と語った。 もちろん、既に定着し、評価されたものは、ひっそりと生き残っている。例えば、「言葉の力PT」で行われた「ビブリオバトル」は、規模を縮小して、新年度に予算計上されている。 一方で、「時間市場開発PT」で行っていた都立施設の開館時間延長・前倒しについては「来場者の増が見込めるか各局で検証してほしい」(主計部)と見直しを図る。都知事選で公約を掲げ、来年度のモデル実施を目指していた「シェアハウス」は、影も形もない。 老朽火力発電所のリプレースは、東京電力が「総合特別事業計画」で方針を示しており、都の役割はもはや終わっている。 財政当局は「猪瀬マターというくくり方で事業を切ることはない。例年通り事務事業評価などで費用対効果を検証し、聖域なく見直した」と話す。 だが元々、猪瀬氏が手掛けたPTは、思い付きで効果も考えずに見切り発車したものが多い。しかも、予算は調査費のような小粒なものばかりで、多くは静かに忘れられていくはずだ。 猪瀬都政の1年は、こうしたパフォーマンス行政が、長い目で見ると都政に何も残さないこと、パフォーマンスでスポットライトを浴びる政治家が、自らが批判の標的にさらされる時にもろい存在であることを痛感させられた。 「猪瀬都政とは何を目指し、何を実現するために誕生したのか」 その答えは結局、本人の口から語られることはなかったが、あえて言えば、それは決して都民の幸せや東京の発展のためではなく、作家・猪瀬直樹のために描かれたストーリーの一部に過ぎなかったのだろう。 新知事は2月9日に誕生する。政治家には一定のパフォーマンスは付き物だが、そこに全てが収斂されてしまう小さな器では、首都東京を預かるには荷が重すぎる。 =おわり(14年1月21日掲載) |