「老朽化してしまった国立競技場をいつまでも放っておくのかねと。これを建て直そうというのが、当時の自民党の文教政策を担ってきた者としては、大きな政策課題だった」 7日、日本スポーツ振興センター(JSC)の有識者会議。事務方の説明を受けて最初に発言を促された五輪組織委員会の森喜朗会長は、積年の思いを語り始めた。「いつかどこかで建て直さないことには、危険な建物を残していくわけにはいかない。政治責任が果たせないんじゃないかという所から話題が始まって、そのうち何かのきっかけが必要だろうと思っていた」 その一つが、2009年7月に決まったラグビーワールドカップ(W杯)の開催だ。8万人を収容できるスタジアムの建設が目標になったという。 当時は民主党政権。西岡武夫参院議長(当時、故人)が議員連盟の会長に就任し、メーン競技場として8万人規模に再整備する決議を採択した。 次に出てきたのが、20年五輪招致だ。 16年五輪招致では晴海地区に都立のメーンスタジアムを整備する計画で、建設費は1千億円程度を想定していた。森氏によれば、石原知事(当時)との間で「建設費を折半しようという話があった」。開閉会式と陸上競技を晴海で、サッカーやラグビーなどを国立競技場で行う前提で、「じゃあ国立球技場ですね」「そうですね」というやり取りもあったという。 ただ、晴海は三方を海に囲まれ、交通アクセスに大きな障害を抱えていた。また、IOCからは「風があるから公式記録に影響する」といった指摘もあったといい、20年五輪では結局、メーンスタジアムとして国立霞ヶ丘競技場を改修して使うことが計画に盛り込まれた。 「これからの日本のスポーツの聖地として、五輪が終わっても象徴的に存在できるものにしていこうということが大きな我々の願いだ」。JSCの有識者会議で、森会長の弁舌が一層、熱を帯びた。 |